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2011-11-20 22:26 | カテゴリ:Touring
帰り道も行き当たりばったり


 道南編最終回です。午前中にみやげ物などを物色し、帰路につきます。行きは太平洋側を回ってきたので、帰りはオロロンソーランラインを通って帰りましょう。で、そのついでに寄り道もちょこちょこしながら行きましょう。

 ここは福島町です。トイレ休憩によったのがここ。この、のぼりでわかりますように、福島町は「横綱の里」と呼ばれております。


 『横綱千代の山 千代の冨士記念館』。“黒い”大横綱千代の富士には、特段関心がないので残念ながら入館料を払って見ようという気が起こりません。そたがってスルー、次に移りましょう。


城とルーテシア



 福島を抜けて、ここは松前。松前というと北海道としては珍しくお城のある町です。春には桜の名所として賑わう観光客です。しかし、この時期は当然換算としております。では、ここには立ち寄ってみましょう。


 お城をバックにルーテシアを撮ります。本州の方とは違い、こちらではここでしか見られない光景ですので、結構テンションが上がります。

 ここで松前城の解説を…

1849年、幕末に築城された日本最後期の日本式城郭です。上ノ国から松前に移った松前(蠣崎)氏が、福山館を拡張する形で築城されました。当初は箱館山に築城する予定でしたが、そうなれば松前が衰退するため、地元商人が反対したそうです。蝦夷地近海に現れたロシア船に備えるのがこの城の大きな役割です。ですから城前面は艦砲射撃に耐えるような堅固な構造となってます。
 また、本州と違い、寒冷な蝦夷地を想定した建造方法が各所に用いられてます。

 しかし、堅固な松前城も戊辰戦争の最末期、旧幕府軍との激しい攻城戦の末わずか数時間で落城しました。


 この時、700名の旧幕府軍を率いていたのが、あの新撰組副局長土方歳三です。今回の旅で、土方の名があちこちで出てきますよね。


 この城は、海上からの攻撃を重点的に想定していたため、城の搦め手(背後)は比較的手薄となってます。正面の大手門は曲がりくねり、攻め手を多数の鉄砲で狙撃できるのに対し、搦め手は門まで、ほぼ一直線。鉄砲の数も少ないので、一気に門まで取り付くことが出来たようです。この門の石垣にはその時の鉄砲の弾の痕もあります。


 搦め手門を超えると三層の天守閣が見えます。ところで、この光景、あの土方さんも眺めたんでしょうね。ちょっと想像力を膨らませてみましょう。


 明治維新で多くの建物が破壊されましたが、天守閣は残ってました。しかし昭和24年に失火で焼失してしまい、1961年に鉄筋コンクリート造で再建されました。現在はこの天守閣は資料館として利用されてます。

 
 この天守閣の隣にある本丸御門が、一番古く建造当時の建造物です。



 城を下りると、麓に様々な商店が並んでおります。どの店も施設も建物の外観を松前城に合わせて、こんな感じです。「au」も江戸時代風なので、モモヤナギ嬢も激しく反応しておりました(笑)。郵便局も北洋銀行もセイコーマート(コンビニ)もこんな風です。


 松前を離れ、上ノ国の道の駅「もんじゅ」で休憩。暖かかった天気も、次第に雲が多くなり、気温も下がってきます。松前で本当は昼食をとろうと思いましたが、ここでお店があまりなく、ここまで来てしまいました。4時頃でしたが、遅い昼食です。


 そこでの昼食は「てっくい天丼」。てっくいとはヒラメのこと。肉厚のヒラメの天ぷらがどーんとのってます。

 この上ノ国の交番で青いメガーヌ2を発見!お巡りさんのクルマなんでしょうね。上ノ国、江差を通りましたが、この辺りも本当は寄り道したいところたくさんありましたが、今回は時間の関係上通過となりました。今度はこの辺りに寄り道をしますね。

 17時くらいになるともう真っ暗。看板に室蘭の文字が見えると、ちょっとそちらに寄り道することをします。この間、室蘭に行ったのになぜ?というと…。


 せっかくなので室蘭の工場の夜景をみましょう。2年前行った函館の旅の時も、ここに立ち寄ったっけ。


 無事に帰宅。道南の自分への土産はご存知『五勝手屋羊羹』。指でキューっと押し出して、糸でピピーって切て食べるのが美味しいんですよね。道外の方にはこの話伝わってるでしょうか?(笑)。
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