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2011-11-17 21:07 | カテゴリ:Touring
第三話は歴史のお勉強


 行き当たりの旅…いつもなんですが、まぁ遊びですが、ちょっとでも仕事に役立てたいなとも思います。私の本職で歴史などを教えてるわけで、そんなわけで、ここ函館は見所がたくさんあります。


 それにしても、夜なのに暖かいこと。シーズンオフなので、観光客もほとんどおりません。私の好きなハリスト正教会もベンチに腰掛けのんびり眺めているわけです。そうしていると、どこかのホールで演奏されているJAZZが聞こえてきます。


 金森倉庫付近にある、ちょっと風変わりな電柱。これ、日本最古のコンクリート電柱なんです。見ておわかりですが四角いんですよ。正確には角錘形です。最古というといつかというと大正12年(1923年)10月に建てられたものです。ここでワンポイントですが、大正12年という9月1日にあの関東大震災があった年です。そうそう女優森光子の生まれた年でもあります。

 なんでこの時代にコンクリートなのかというと、当時、函館では火災がひんぱんに起こっていたため、防火対策としてコンクリートだったというわけです。


 観光定番の五稜郭に行ったならば、四稜郭はもちろん外せません。人気観光スポットの五稜郭と違い、ここは観光客は誰もいません。星型の五稜郭に対して、四稜郭は蝶のような形をしています。この看板の形がそうなのですが、タワーもないここでは全体像がわかりづらいです。Googleマップかなんかで見ると形がわかると思います。 


 そもそも四稜郭とはなんぞや?ということで、簡単に解説を。

時は戊辰戦争末期の明治2年(1869年)春。五稜郭に立て籠もる旧幕府軍脱走兵は来る新政府軍との決戦に備え、各地に陣地を構築していました。五稜郭の背後を守るため、北方3kmに洋式台場を設置しました。これが四稜郭です。
 建造には、旧幕府軍200人、地元住民100名を動員し、突貫工事でわずか数日のうちに完成させました。しかし、5月新政府軍による箱館総攻撃で、権現台場が陥落すると、五稜郭と四稜郭が分断されるのをおそれ、旧幕府軍は撤退することになりました。その後5月18日、榎本武揚らが投降し箱館戦争が終結しました。


 はい、これがその写真。箱館戦争後、一時荒れ果てかけましたが、地元の住民の力で保存されました。写真の奥の方に大砲を設置した台場の跡が残っています。


 史跡の周囲は公園となってます。後から知ったのですが、ここって地元でも有名な心霊スポットだそうです。まぁ、墓地も近いですからね。


 墓地と言えば…お墓ではありませんが、ここは「土方歳三最期の地」。そう新撰組副局長の鬼の土方です。土方は箱館戦争終盤、大勢が決した頃、単独で斬り込みを敢行。新政府軍の銃弾に倒れたのがここ。現在は函館総合福祉センターの敷地内となってます。頃合を見て、投降を考えていた榎本らに対し、土方は端から箱館で死のうとしていたわけです。


 さすが人気の土方さん。献花が絶えません。以前ここを訪れた時には、ホームレスのおじさんに無茶ぶりされたのを思い出しました。


 再び金森倉庫に戻って。オルゴール堂のレンガ倉庫の壁に貼られた一枚のプレートに目がいきました。左上にあるのがお気づきでしょうか?


 「TSUNAMI」…桑田圭祐の記念プレートではありません。今年の3月11日の地震で、函館の町にも津波が襲ったのでした。このプレートの位置まで海水が来たという訳です。東北の話題が多く報道されましたが、北海道にもあの日大きな爪痕を残していったんですよね。

              次回でそろそろ最終回にします。それでは…。

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