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2008-01-14 18:00 | カテゴリ:Tour
旅はいつも行き当たり

ばったり…


 1月8日(火)~11日(金)の日程で、越前国(福井)に一人旅をしてきました。仕事柄、分刻みで追い立てられる修学旅行の反動なのか、本来がいい加減にできているせいなのか、わかりませんが、旅行に行く時は事前に全くと言っていいほど予定を立てずにいきます。まぁ幸い私は数ある言語の中でもとりわけ、「日本語」をしゃべる事が出来るので、行き当たりばったりで困る事はそうないでしょう。
 ところで、何故、福井なのかというと、日本史を教えている関係上、京都を中心に見ると、この「越前国(福井)」は、都への北の入り口として重要な地域だと考えているので、是非その地に立ってみたい。ただそれだけなんですが、商売上、見ないでしゃべるのと、見てしゃべるのとでは大違いです。

旅は出発前から波乱の予感

です。


 今回の旅のメインは、「永平寺」に一泊して、坐禅や雲水の生活を疑似体験させてくれる「一日参篭」でした。12月に申し込みを済ませましたが、老衰のため1月5日に永平寺七十八世貫首、宮崎奕保(えきほ)禅師が老衰で亡くなられたというニュースを聞きました。9日に永平寺に入る予定だったのでちょっと心配でした。8日の10時半に出発する予定でしたが、30分前に自宅に永平寺が電話が…。
「もしもし、永平寺です。誠に申し訳ないのですが、こちらの都合なんですが、禅師様が亡くなられたてこんでますので、よろしければ日程の変更は可能でしょうか?」
宿泊や航空機を押さえている関係上、30分前の変更はちょっと難しいことを告げると「ばたばたしていますが、よろしければ起こし下さい。」ということになりました。


お城のある街


 新千歳空港から、全日空の便で午後3時ころ小松空港に到着、バスで福井駅まで1時間10分。夕方に福井駅前に着きましたが、天気は雨…。どうも出かけると降るみたいです。



 福井市内は札幌のような碁盤目状でわかり易い町並みではなく、方向音痴の私にとっては「?」。旅行に行くと、まずその日は、とにかくホテル周辺を歩き回り、街の位置関係を把握するところから始まります。北海道と本州の違いは、道路の広さ、住宅の屋根、そしてお城の有無ですかね。もちろん北海道にも松前城などありますが、一般的なものではありません。福井城は残念ながら、当時の天守閣などは失われれていますが、堂々とした当時から石垣が往時の姿を予想させます。ちなみに、石垣の上には現在県庁があります。北海道の人間からしてみると、古い建物の上に、現在の建物が建っているのは、何だか不思議な感じです。


 ちなみに、この人物は福井城を建造した、越前藩主結城秀康。あの徳川家康の次男でしたが、激しい気性の秀康に手を余した家康は、豊臣秀吉の養子に出してしまったというエピソードの人物です。さらに秀吉も秀康を恐れ小国結城家に養子にしてしまったそうです。ですからさぞ不遇な人生を送った人物なのでしょう。最近ではPS2のゲーム「新鬼武者」の主人公にもなっている人物です。また最後は梅毒により病死ということになっておりますが、弟の2代将軍である秀忠に毒殺された可能性もあるそうです。激しい気性のわりに、肖像画の彼は、困った顔しているのが、印象的です。

こちらは織田軍団の切り込み

隊長鬼柴田だ!



 翌9日、戦国大名朝倉氏の城下町の遺跡である一乗谷に行く為、9時前にバス停へ。するとバスは10時ということで、1時間待ちとなってしまいました。駅前に「柴田公園」という史跡があるらしいんで、散歩がてらに行くと、商店街の外れにありました。織田信長の配下の武将柴田勝家は、ここ越前に居城北の庄城を築いていました。しかし秀吉と争い敗れ、勝家が自刃した後、この城は跡形もなくなくなりました。なんでも福井城を築造する際、結城秀康が、北の庄城の石垣等を再利用したそうです。発掘調査でこの城の遺構が発見され、その上に柴田神社、柴田公園が造られたそうです。





 柴田勝家の像の裏側には、彼の奥方で落城の際ともに自刃したお市の方の像も。信長の妹で近江の大名浅井長政に嫁ぐが、長政が信長に倒された後、勝家と再婚しおります。お市は当時絶世の美女と評判で、勝家と秀吉は彼女をめぐる恋のライバルだったみたいです。


一乗谷遺跡に行こう!


 10時にようやく一乗谷への路線バスが到着し、乗り込むと乗客は私一人。一番前の座席に座り、運転手さんに、到着時間や、バス料金、北海道から来た事を告げると、人のよさそうな運転手さんで、道中ずーっと、運転しながら観光案内や世間話をしてくれました。路線バスが突如ガイド付き観光タクシーになった感じです。これはとてもラッキーです。天気も昨日の雨がウソのように快晴で、日差しが暖かいです。運転手さんに丁重にお礼を言いバスを降りました。今日はいい日だなと思ったのですが…


 ここ一乗谷は戦国大名朝倉孝景の居城(館)と、城下町の史跡です。朝倉氏は室町時代の守護大名をルーツにもつ、戦国大名の中でも家柄のよい大名でした。彼を頼って後の室町幕府最後の将軍足利義昭や、当時浪人だった明智光秀らもこの地に滞在していたようです。山側に朝倉館や庭が造られ、谷の部分に家臣や職人などを集住させ、城下町を形成していたようです。さすがに福井市内にくらべ、一乗谷は山あいのせいか、雪も多くなり、気温もぐっと下がってきております。雪を漕いで山を登って行くと、「クマ出没」の立て看板がちらほら…。その中にひっそりと孝景公の墓所がありました。また当時、近江の浅井と組んで信長を一時は窮地に追い込みますが、あえなく破れ討ち死にした5代の義景公の墓所もあり、400年以上も雪深い山に静かに眠っているようです。


 山を下りて、谷の部分へ。ここに、400年以上前に、沢山の人が集まり繁栄した町があったようです。その往時の姿を再現するため、200mばかりですが、町並みを当時のまま復元をしております。(入場210円也)まるでそこを歩くと室町時代にタイムスリップしたようです。この日は私以外誰もおらず、じっくりと見学することができました。復元したものの、現在の消火栓や保安機材、非常口の表示等がどこか雰囲気を壊しており残念。法律上必要なものかもしれませんが、何かいい方法はないのでしょうかね。


 一乗谷を見学し終えると、時計は11時30分頃。この日永平寺には、4時に入るため、最悪3時ころの福井発のバスに乗らなければなりません。予定では13時30分福井発-永平寺行のバスに乗るつもりでした。
バス停に行き時間を確認します。

確認します…

確認…

…何てこったい!福井行きのバスは13時07分です。

1時間40分も、何もない雪の中にポツンと立っていろというのかい。
福井は観光地が点在しており、交通アクセスはどうもしっくりきません。どうやらレンタカーでの移動が懸命なようです。
 さあどうするか。ただつっ立っていても仕方がありません。とりあえず、歩きましょう。ということで、バス路線を逆にあるいて戻りました。するとどうでしょう。気温がどんどん下がって行き、山の霧は次第に、雨に変り、5kmくらい歩いた段階で、土砂降りになりました。
午前中の快晴は何だったのでしょう。でも、まぁ、何とかなるでしょう。

ラッキー小屋付きバス停

発見!


 結局雨の中、7~8km歩いた段階で別路線のバス停を発見!しかも、小屋付きだし、福井駅への便数も豊富、さらに向かいにはローソンが!ローソンで昼食と暖かい缶コーヒーを購入。小屋でゆっくりバスでも待ちましょう。
まぁ、何とかなるもんです。バスに下りると丁度永平寺行きの直通バスが停車中。ドンピシャのタイミングで乗ることが出来ました!(後編につづく)
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